2010/08/26
14:29:45
セネガルの世界遺産
ゴレ島
登録名
Island of Goree
セネガルの首都ダカールの
南東沖に浮かぶ小島ゴレ島は
車も必要のないような小さな
島ですがかつては多くの奴隷を
新大陸に送り込んだ悲劇の
舞台でした。
無人島だったゴレ島に初めて
ポルトガル人がやってきたのは
1444年で当時はパルマ島と
呼ばれていて商業基地として
栄えました。
その後専有権はイギリス、オランダ
フランスとめまぐるしく代わりましたが
奴隷貿易は1815年に制度が廃止
されるまで続きました。
島の東岸には当時奴隷の積み出し場として
使われていた奴隷の家が残っており
ローズ色の壁が美しい建物は2階建で
中庭から馬蹄型の階段を上がります。
2階には奴隷商人たちが住み
小さな窓しかない1階には奴隷たちが
鎖で繋がれ収容されていました。
現在はこの奴隷の家と島の北端にある
エストレ要塞が歴史博物館として
一般に公開されています。
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セネガルの首都ダカールの
南東沖に浮かぶ小島ゴレ島は
車も必要のないような小さな
島ですがかつては多くの奴隷を
新大陸に送り込んだ悲劇の
舞台でした。
無人島だったゴレ島に初めて
ポルトガル人がやってきたのは
1444年で当時はパルマ島と
呼ばれていて商業基地として
栄えました。
その後専有権はイギリス、オランダ
フランスとめまぐるしく代わりましたが
奴隷貿易は1815年に制度が廃止
されるまで続きました。
島の東岸には当時奴隷の積み出し場として
使われていた奴隷の家が残っており
ローズ色の壁が美しい建物は2階建で
中庭から馬蹄型の階段を上がります。
2階には奴隷商人たちが住み
小さな窓しかない1階には奴隷たちが
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