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13:47:53
パキスタンの世界遺産
モヘンジョ・ダーロの遺跡



登録名
Archaeological Ruins at Moenjodaro


モヘンジョ・ダーロは4大文明の
1つであるインダス文明が栄えた
古代都市遺跡です。


1922年に発掘された当時
モヘンジョ・ダーロは2世紀に
栄えたクシャン朝の仏教遺跡だと
考えられていましたが発掘品は
全く別物でした。


欧米の考古学者の発掘調査や
第二次大戦後のパキスタン考古局などの
大規模な調査により紀元前2300年~
紀元前1800年に興亡した高度で
未知なる文明の都市跡である事が
判明しました。


モヘンジョ・ダーロは周到な
都市計画に基づきつくられて
いたことがわかりました。


焼成レンガで舗装された街路が
碁盤の目のように走っており
街路沿いには下水溝もあり
人家が平然と立ち並んでいました。


遺跡から見つかった大規模な浴場や
井戸から、インダス川が近くを流れ
水の豊富な都市であったことが
うかがえます。


浴槽の底は焼成レンガ敷き詰められ
天然瀝青で固めて水が漏れないよう
施されています。


この大浴場はのちもヒンドゥー教にも
みられる儀式の場だったのではないかと
考えられています。



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14:49:26
パキスタンの世界遺産
ロータス城塞


登録名
Rohtas Fort


ロータス城塞はムガール帝国の
第2代フマユーン帝をインドから
追放し一時的にデリーを支配した
スール朝のシェール・シャーが
1541年に建設しました。


世界最大級の塩岩鉱山を擁する
ソルトレンジの上にある城塞は
当時のスール朝の北の守りで
あったことがうかがえます。


フマユーン帝は1555年に
スール朝の混乱に乗じて
これを討ちムガール帝国を
復活させました。


ロータスは中央アジア騎馬民族の
侵入を防ぐための軍事拠点で
そこにつくられたロータス城塞は
堅固な城壁を誇り幾多の攻撃にも
落ちることなく、ほとんど壊される
ことなくその姿をとどめています。


ロータス城塞はまたキラ・ロータスとも
呼ばれていて中央アジアや南アジアに
おける初期のイスラム軍事建造物として
注目されています。




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15:50:31
パキスタンの世界遺産
タッタの歴史的建造物



登録名
Historical Monuments of Thatta


タッタは14世紀から400年に
わたりシンド地方の首都が
おかれていた所です。


インダス川のデルタ地方に位置し
相次いでサンマ朝、アルグン朝
ムガール朝の支配下で海洋交易に
より発展しました。


しかし、度重なる洪水や川の氾濫で
町は疲弊し18世紀半ばにペルシア軍の
攻撃を受けて滅亡しました。


荒廃しながらも残っている
都市や墓地の遺跡は独特の
シンド文化を伝えています。


イスラム世界最大の墓地には
100万人以上の人々が眠っていると
いわれています。


ムガール朝第五代シャー・ジャハーンの
命によって建てられたモスク、
ジャミー・マスジトは11年の歳月を
かけて1658年、第六代アウランゼーブ帝の
時代に完成しました。




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16:51:27
パキスタンの世界遺産
タキシラ



登録名
Taxila


紀元前5世紀~紀元前2世紀に
かけてペルシア、ギリシア、
中央アジア、インドの影響を
受けて発達した都市タキシラは
様々な時代の都市遺跡が混在して
います。


遺跡は南から時代順に
3都市並んでいます。


最も古いビル・マウンドは
マウリヤ朝時代のもので4つの
文化層に分かれており都市計画の
跡もなく「混雑の丘」と呼ばれています。


紀元前2世紀始めにバクトリア国の
ギリシア人が建設したシルカップは
整然とした都市計画が特徴で
シルカップの後を受けて
クシュナ朝によって新しくつくられた
シルフスが現在南東の一部が
発掘されているだけです。


タキシラは仏教遺跡が多数存在する
ことでも知られていて最も古く重要
なのがアショカ王が創建した
ダルマラージカ寺院でチル・トペと
呼ばれる巨大なストゥーパが
残っています。


ジャンディアール寺院は
ギリシア神殿風です。

シルカップ市街跡にある
紀元前1世紀の装飾
双頭のワシのストゥーパは
インド、ペルシア、ギリシアの
文化的特徴が融合していて
タキシラが東西交流の拠点とし
いかに繁栄したかを物語っています。


4世紀末にはササン朝ペルシアの
侵入で遺跡はイスラム墓地となり
5世紀のフン族の侵略後には
仏教寺院などが破壊され現在では
基壇の一部が残るだけです。




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17:52:26
パキスタンの世界遺産
タフティ・バヒーの仏教遺跡とサリ・バロール近隣都市遺跡



登録名
Buddhist Ruins at Takht-i-Bahi and Neighboring
City Remains at Sahr-i-Bahlol



タフティ・バヒー寺院は
ガンダーラ平野を望む丘の
上にあり1~7世紀にかけ
建てられたもので保存状態も
よく当時の寺院の構造を
今に伝えています。


ガンダーラは州都ペルシャワー帯の
古い地名であり古くから交通の
要衝であったがクシュナ王朝の
時代に最も繁栄しました。


この時代にクシュナ族は
仏教美術とギリシア美術を
混合させたガンダーラ美術を
生み出しました。


この地をからガンダーラが
最初に生み出した石造りの
仏像が発見されていて現在は
ペシャワール博物館に展示
されています。


同時代のサリ・バロール都市遺跡は
タフティ・バヒー寺院の近くに
存在します。
小規模ではあるが堅固な城壁に守られた
要塞都市であったと考えられています。


5世紀のフン族の侵入にも
耐えましたが12世紀の
イスラム侵入により滅びました。



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