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01:53:11
ウズベキスタンの世界遺産
ヒヴァのイチャン・カラ



登録名
Itchan Kala


イチャン・カラとは二重の城壁の
内側の壁の中の内城を意味し
外壁と内壁の間はジシャン・カラと
言います。


ヒヴァは古代からカラクモ砂漠の入口にある
オアシスとして栄えて来ました。


16世紀にヒヴァ・ハーンの首都がここに
移転してから政治に経済、宗教の中心と
なったことで遺跡も多数あるが18世紀に
ペルシア人によって破壊されたため
復元されたものが多いです。


最も大きいメドレセが
ムハマド・アミン・カーンで
付属する未完のカリタ・ミナルの
ミナレットが印象的です。


これとは対象的な高さ45mの
イスラム・ボジャのミナレットは
青と緑のタイルで飾られていて圧巻です。


ここに登り太陽が降り注ぐ町を
見下ろすとヒヴァが
中央アジアの真珠と
いわれる由縁がわかります。



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01:55:26
ウズベキスタンの世界遺産
ブハラ歴史



登録名
Historic Centre of Bukhara


ブハラはシルクロードの
重要拠点として繁栄しました。


8世紀にアラブ人の侵略によって
イスラム化が進み9~10世紀には
サマニ朝の首都として商業や学問の
中心になりました。


1220年にモンゴルの攻撃を受け
ほとんどが壊滅しましたが1500年に
遊牧民ウズベク族の支配下に入ると
ブハラ・ハーンの首都として商業都市へと
成長しました。


モンゴルの攻撃以前の建物が残っているのは
サマニ朝のイスマイル・サマニ廟で
中央アジア最古のイスラム建築である。


キャラバンの目印になったカリヤン・ミナレットは
カリヤンという名が示すように中央アジア
随一の長身を誇ります。



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