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10:13:47
インドの世界遺産
デリーのフマユーン廟


登録名

Humayun's Tomb, Delhi


ムガール帝国第二代皇帝フマユーンの
墓廟で妃の一人で信仰に篤い
ハッジー・ベーガムによって
皇帝の死後に着工され没後9年目の
1565年に完成しました。


ペルシアの建築家ミラク・ミルザー・
ギヤースによる設計で広大な
チャハルバーグ様式にはペルシアの
伝統が色濃く反映されています。


ヒンドゥー建築やイスラム建築にはない
優美な姿が特徴でその造りは
タージ・マハルを代表とする
その後のムガール建築に大きな
影響を与えました。


1857年のセポイの反乱の際に
ムガール帝国最後の皇帝である
バハードゥル・シャー・ザファーは
この墓廟でイギリス軍に捕らえられて
帝位を剥奪されラングーンに
追放されました。


フマユーン廟の北方に
プラーナ・キラーと呼ばれる遺跡が
あり16世紀半ばに建築され
後のフマユーン帝の城となった
場所です。


フマユーン帝はペルシア文化を
好む教養人でしたがスール朝の
創始者シェール・シャーとの戦いに
負けてペルシアに逃れムガール朝は
15年中断しました。


1555年にシェール・シャー死後の
スール朝内紛に乗じてデリーを奪回
しましたが翌年フマユーン帝は
図書館の階段から落ちる事故で
死亡しました。



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10:15:19
インドの世界遺産
クトゥブ・ミナールとその建造物


登録名

Qutb Minar and its Monuments, Delhi


クトゥブ・ミナールはインドで
最も高い石造建造物で以前は
高さ100mありましたが
飛行機事故により72.5mに
なりました。


奴隷王朝のスルタン
クトゥブ・アッディーン・アイバクが
1193年にヒンドゥー教の領主
プリトゥヴィ・ラージ・チャウハーンを
破りその勝利の記念として立てたものです。


アイバクが建てたのは第一層部分だけで
残りは養子のアール・タット・ミシュ王に
よって完成されました。


ミナールはミナレットのことで
本来はモスクに付属して礼拝の
呼びかけをする塔ですが
ここでは勝利記念の意味が強い。


塔のすぐ脇にインド初のモスク
クワトゥル・イスラーム・モスクがあり
イスラム教では本来偶像崇拝を
認めない宗教ですが破壊した
27のヒンドゥー教寺院や
ジャイナ教寺院の石材を用いて
建てられたためガネーシャ像などの
神像がみられます。



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10:17:00
インドの世界遺産
タージ・マハル


登録名

Taj Mahal


ムガール朝第五代皇帝である
シャー・ジャハーンが最愛の
妃ムムターズ・マハルの死を
悼んで建てた白亜の霊廟です。


22年の歳月と天文学的な
費用を要して1654年に
完成しましたがムガール帝国の
国力はこれを機に傾いていきました。


タージ・マハルとはマハルの冠を
意味しデリーのフマユーン廟で
形式が確立したムガール朝の
建築はここに頂点を迎えました。


シャー・ジャハーン帝は
タージ・マハル廟と対をなす
自分の為の廟をヤムナー川の
対岸に建設する意向だったと
いわれていますが国庫はすでに
底をついておりシャー・ジャハーンの
棺はタージ・マハル廟の王妃の
棺の隣に安置されました。


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10:18:45
インドの世界遺産
アーグラ城塞


登録名

Agra Fort


ムガール帝国で最も重要な
この城は赤砂岩で造られているため
「レッド・フォート」とも呼ばれ
第三代皇帝のアクバルによって
1565年に築かれました。


当初は要塞として重点を
おかれていましたが
シャー・ジャハーン帝の
時代に補強、増築され
都城として復活しました。


ヤムナー川を背にしているので
防衛上も有利であるためアクバル帝から
第六代アウランゼーブ帝の時代まで
一時期を除いてその首都でした。


晩年、息子によってアーグラ城に
幽閉されたシャー・ジャハーン帝は
毎日ここから妃の墓廟を眺めて
暮したといわれています。



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10:20:13
インドの世界遺産
ファテープル・シークリー


登録名

Fatehpur Sikri


世継ぎに恵まれなかった
アクバル帝はアーグラの
南西20kmほどにある
シークリー村に住む聖人
シュイク・サリーム・チシュティの
もとに訪れました。


聖人の予言通り皇子サリームを
はじめ次々に男児に恵まれた
アクバル帝は大いに喜び
1571年この地に都を築きました。


その後にジェラート地方を制圧した
記念にファテープルと名付けました。


アクバル帝は自らの権力の安定を
領土統治のため諸宗教融和政策を
実践していてこの都市の建造物が
まさにその反映でした。


モザイクの壁面の
ジャマー・マスジト内には
全てが白大理石で造られた
聖人シュイク・サリーム・チシュティの
墓廟が赤砂岩のモスクの中で
ひときわ映える。


1585年にこの新都城は
水利の悪さが原因で放棄され
遷都からわずか14年間使われた
だけで役目を終えました。


アクバル帝が去った
ファテープル・シークリーは
廃墟になりましたがそのため
当時の建築物が無事に残って
いました。


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