2010/06/25
11:30:49
日本で第2回目に催した博覧会は
沖縄国際海洋博覧会
沖縄県国頭郡本部町にて
1975年7月20日 ~ 1976年1月18日
まで行われました。
種別は特別博に分類され
「沖縄海洋博」「海洋博」とよばれました。
テーマには「海-その望ましい未来」で
期間中は県内の至る所に
「めんそーれ沖縄」と
書かれた歓迎の垂れ幕が立っていました。
展示施設の目玉とされたのが、未来型海洋都市のモデルとなる
人工島「アクアポリス」であった。
しかし、アクアポリス自体が展示物であり内部にさしたる仕掛けもない施設と
だったから、訪問客のなかには拍子抜けした者も少なくなかった。
入場者数は約349万人にとどまり目標の450万人には届かず
会場内でグッズ類が投売り値段で安売りされる光景は
ドキュメンタリー映像にも残りTV放映された。
シンボルマークは、水色の丸の中に青い三つの波頭が並んだ絵柄で
テーマを簡潔に表している。
海洋博の終了後、跡地は、国営沖縄記念公園となった。
「海洋生物園」はその後も公園内の中核施設として営業を続け
現在は建物も建て替えられて美ら海水族館となっている。
アクアポリスは2000年10月23日、鉄屑としてアメリカ合衆国の
企業へ売却され、解体場所の上海へ曳航された。
ランキング参加中
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ご協力をお願いします
沖縄国際海洋博覧会
沖縄県国頭郡本部町にて
1975年7月20日 ~ 1976年1月18日
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テーマには「海-その望ましい未来」で
期間中は県内の至る所に
「めんそーれ沖縄」と
書かれた歓迎の垂れ幕が立っていました。
展示施設の目玉とされたのが、未来型海洋都市のモデルとなる
人工島「アクアポリス」であった。
しかし、アクアポリス自体が展示物であり内部にさしたる仕掛けもない施設と
だったから、訪問客のなかには拍子抜けした者も少なくなかった。
入場者数は約349万人にとどまり目標の450万人には届かず
会場内でグッズ類が投売り値段で安売りされる光景は
ドキュメンタリー映像にも残りTV放映された。
シンボルマークは、水色の丸の中に青い三つの波頭が並んだ絵柄で
テーマを簡潔に表している。
海洋博の終了後、跡地は、国営沖縄記念公園となった。
「海洋生物園」はその後も公園内の中核施設として営業を続け
現在は建物も建て替えられて美ら海水族館となっている。
アクアポリスは2000年10月23日、鉄屑としてアメリカ合衆国の
企業へ売却され、解体場所の上海へ曳航された。
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